■今村裕治ディレクター(当時)

2012年に入って、あべけん太をはじめとするキャストたちが芸能レッスンを行っていた稽古場に、当時バリバラでディレクターをされていた今村さんが取材に来てくれました。
バリバラで初めて知的障害者を取り上げるための取材として、2011年暮れの「SHOW-1グランプリ」の放送を観て、我々を知ってくださり、来てくれたとのことです。
「親の会」のような場所も訪ねたそうですが、より「当事者」と向き合うために私たちのところに来てくれたと、今村さんは話していました。
ここから、私がけん太のマネジメントしていた2016年まで、けん太や、その他のマネジメントを担当していたキャストも、準レギュラー枠としてバリバラに出演させていただくことになっていきました。


■最初は年末特番の生放送

最初の出演は、あべけん太ひとり。2012年のバリバラ年末特番、しかも生放送でした。
当時はまだ、けん太も今のように上手く会話を進めることが難しく、事前の打ち合わせも入念に、本人はもちろんですが、私たちにとっても、緊張の本番でした。


■「ダウン症のイケメン」

けん太は、ダウン症は大好きだけど、知的障害者と言われるのは、バカにされているみたいで嫌だ、と話していました。本番直前に同番組に出演した車椅子ユーザーの福島さんが、
「(知的障害と言われるのが嫌なら)何と呼ばれたい?」
と聞いてこられました。けん太はすかさず「ダウン症のイケメン?」と答えて。「それ面白いね!本番で言ってね!」という会話があって、そのまま本番に突入しました。
福島さんは本番で打ち合わせ通りに(けん太が「知的障害者と言われるのは嫌」という話題になったところで)「それなら何て呼ばれたい?」とふってくれました。そして、けん太は「ダウン症のイケメン!」と本番で答えることができました。
この時から「ダウン症のイケメン」は、けん太のキャッチフレーズになりました。


■衝撃的な街頭インタビュー

この時の番組は、出演者たちのVTRを見ながら、生放送でトークを進めていく内容でした。
けん太のVTRは、街頭で「僕って可哀想ですか?」と街行く人にインタビューするものでした。
渋谷の街(若者の街)、巣鴨の街(人生の先輩方の街)、東大の赤門の前で東大生に。けん太はインタビューしました。
この当時はダウン症のある人に「可哀想ね」と言葉をかける人も多く、「ダウン症は可哀想なのか?」を、当事者が聞いてしまうという内容は(私は番組の評価はできない立場ですので、どうだったかについては書きませんが)、それはそれは話題になりました。


こうして、あべけん太のバリバラ出演が進んで行きました。


 2015年4月バリバラ お笑いライブ